神の安息、一息ができる居場所

10神の安息に入る人は、神がご自分のわざを休まれたように、自分のわざを休むのです。11ですから、だれも、あの不従順の悪い例に倣って落伍しないように、この安息に入るように努めようではありませんか。12神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。13神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。

聖書、ヘブルびとへの手紙4章10〜13節

疲れ果てて何もできなくなったときがあるのでしょうか?毎日の中なかなか安らぎがないように感じるときがあるのでしょうか?

上記の箇所に私達に良いお知らせがあります。この世と私達を作ってくださった神は、私達を一息ができるご自分の御臨在に招いてくださいます。すべてのことのできる御方は、私達の心配や揉め事私達の心の悩みを見てくださって、毎日のストラグルの中で私達に希望と道を与えてくださいます。

自分が価値ある人であることを証明できる私達にイエスキリストがこう言ってくださいます:

わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。

聖書、マタイの福音書11章29〜30節

すべてのことを見ておられる神は、私達の心の奥底までに私達を知っておられるのに私達を愛してくださいます。イエスキリストの贖いのおかげで私達は、神との関係に招かれて、毎日の忙しさの中でも本当の平安と安らぎ、本当の「安息」を味わうことができるのです。

その安息を味わおうのではないのでしょうか?

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