自分の正義はどこにあるのか?
私達人間の人生に生きがいと目的を与えてくださるのは天地の創造主である神です。その神に従っていかなければ私達人間は神以外の他のものを持って私達をよしとする基準に使ってしまいがちなのです。神の愛以外のもので自分を満たそうとすると、その症状が人生の色々なところに出てくると思います。自分を良しとする、硬い言葉でいうと自分の正義を建てるたみには、私達に目的を与えることができる雄一の神いがいのものを使ってしまうようになるのです。
人間としてその傾向があるため、自分の正義がどこにあるのかということを自分に問うのが大切になると思います。自分は、何を持って自分を正義正しい人と判断するのしょうか?人前でできる限り馬鹿なことさえ言わなければよいと思うのでしょうか?会社さえでものごとがうまく行けば大丈夫だと思うのでしょうか?人によってその自分で作った基準、そのメジャーが違ってくると思います。ある人には人気があるかどうか、他の人には健康であるかどうか、ある人にはお金や財産で自分の価値を図るかもしれません。
神学者であったケラー先生がよく言われたのは、「その物自体は良いもので問題ないのですが、私達は、あれば良いものを非可決なものにしてしまって、その自分を良しとし正当化するために使ってしまうので、私達の人生の中でそのものがなくなると私達は自分の人間としての価値感がなくされたように感じるようになってしまうのです」。天地の創造主の愛以外のことで自分の正義をもとめると、私達の人生の中で色々なところで恐れ、絶望感、などの症状が出てしまいます。
神以外のもので自分をよしとしてしまうことがわかったら、神の愛に戻り、自分の考えを変える必要があります。聖書は、そのことを「悔い改め」というのです。それを通して私達は、私達を支配してしまうものから自由になるのです。
神の自由を味わって行きたいと思うのではないのでしょうか?